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カテゴリー「本」の記事一覧

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『新しい道徳』(北野武著、幻冬舎)

著者は北野武さんなので、教育的な道徳の本ではないと思って読みましたが、学校の教科書的な(といっても今の学校の道徳教科書の内容を私は知らないので、あくまでもイメージだけど)内容でないのは予想通りで、解釈のしようによっては教育的な気もします。
私には腑に落ちるお話しで、自分にとっての道徳ってなんだろう?って考えるきっかけなりました。
自分がなぜ電車の中でお年寄りに席を譲るのか、自分なりの納得はできたかな。

本の副題は、
「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか

そもそも「いいこと」って何だろう?武さんは「基本的には自分以外の誰かのためになることを意味する」と一応定義をされているけど、誰かのためになることが別の誰かのためにはならないこともあるわけで(その辺のことも書かれています)、そもそも「いいことをすると気持ちいい」のか?

でも「それをしないとなんか気持ち悪い」ってことはある。それが私の道徳かも。
電車の中でお年寄りに席を譲らないと、自分の中でなんかもやもやして、気持ち悪いんですよ。

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『勝負師と冒険家 常識にとらわれない「問題解決」のヒント』(羽生善治、白石康次郎、東洋経済新聞社)

これも推薦しようと思った一冊。時々読み返して、自分を励ましたい。

『勝負師と冒険家 常識にとらわれない「問題解決」のヒント』(羽生善治、白石康次郎、東洋経済新聞社)
棋士・羽生善治氏と海洋冒険家・白石康次郎氏の対談集。頭脳派vs肉体派。静の人vs動の人。一見対照的な二人の共通点と相違点が興味を誘う。
「レースは長くなればなるほど、全体的にバランスのいい人が抜きん出る」(白石氏)
「互いに相反する二つの能力を伸ばしていかなきゃならないというのは、けっこう現代人が仕事に対して求められていることと、すごく共通している」(羽生氏)
「これをやったら損だとか、マイナスだとかっておもうときは、だいたい目先のことしか考えてないときが多いんで」(羽生氏)
こういう言葉を語るまでには、数えきれない苦悩や葛藤を経験してこられたのだろう。
私がもっとも好きな言葉は「温存しとこうとか後で使おうというのはダメで、今持っている力は早く使ったほうがいい」(羽生氏)。アイデアは生ものだ。出し惜しみしているうちに消費期限が来てしまう。

『ぼくは勉強ができない』(山田詠美、新潮文庫)

今年もやってきました、PTAの推薦図書の季節。今年の一冊はこれ。

『ぼくは勉強ができない』(山田詠美、新潮文庫)
素晴らしき淫売(母)と老いてますます盛んなくそじじい(祖父)と暮らす高校生の秀美くんは、勉強はできないけど女の子にモテモテ。ぼくは確かに成績悪いよ。でも、勉強よりも大切なことがいっぱいあると思うんだ――。
「いい顔をしていて女にもてる男」を無条件に尊敬する秀美くんの、アイロニカルな人間観察が痛いところを突いてくるけど、そこには愛とユーモアがあって、心にすっと入ってくる。
山田詠美が高校生を描くとこうなるのか?!

山田詠美さんの小説を読んでいつも思うのは、この人の文章には品がある、ってことです。

宮沢賢治『生徒諸君に寄せる』考

アンコール湘南第三期のみなさん
アクセスありがとうございます。
課題曲の詩の分析・歴史的背景をまとめてみました。
課題曲の歌詞は、賢治の「詩ノート」に書き込まれた8つの断章の抜粋&再構成なので、元の詩を対象として、断章単位で解析を試みました。
にわか作りの浅さは否めませんが、一つの解釈として、曲作りのお役に立てれば幸いです。


『生徒諸君に寄せる』の創作背景
1927年(昭和2年)、「盛岡中学校校友会雑誌」への寄稿を求められた際に、賢治(当時31才)は『生徒諸君に寄せる』の創作に着手した。しかし完成には至らず、同誌には別の2編(「奏鳴四一九」「銀河鉄道の一月」)が発表された。前年(1926年3月)に花巻農学校を依願退職した賢治は、この頃、羅須地人協会(理想の農業を追求する賢治の私塾)で「農作業にいそしみ、夜には農民たちを集め、科学やエスペラント、農業技術などを教え」「自らが唱える“農民芸術”の講義」を行っていた。
『生徒諸君に寄せる』が発表されたのは昭和21年4月発行の「朝日評論」で、これは8つの断章を元に、加筆修正されたものである。


参考
以下、詩は青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/47029_46743.html)からの転用。(歌詞に採用されている部分は着色)

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生徒諸君に寄せる

〔断章一〕
この四ヶ年が
    わたくしにどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を
    鳥のやうに教室でうたってくらした
誓って云ふが
    わたくしはこの仕事で
    疲れをおぼえたことはない
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「この四ヶ年」とは、1921.11~1926.3までの稗貫農学校(のちの花巻農学校)の教員時代であろう。稗貫農学校には「大正期自由主義リベラルなデモクラシーの空気」が満ち、「校内には、自由な空気が漲り、教師はのびのびと思う存分の教育や研究活動を行うことができた」と『賢治研究 20』(宮沢賢治研究会,1978年6月)に記されている。
自分の追求する理想的な教育が実践できた(と思われる)環境は、賢治ならずとも、教師にとって「どんなに楽しかったか」想像に難くない。「鳥のように教室でうたってくらした」という詩句は、生徒たちに自分の知識や信念を熱心に語る教師・賢治の姿を彷彿とさせる。
賢治先生は、「生徒たちと実習に出かけるだけでなく、山歩きなどにもよく生徒を連れてでかけた。学校で生徒たちに自作の演劇を演じさせたりもしている」。多忙な毎日であったと思うが、「この仕事で疲れをおぼえたことはない」というのは、幸せな教員時代だったことを物語っている。

参考
『教師としての賢治』http://www.kenji-world.net/who/teacher.html
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〔断章二〕
  (彼等はみんなわれらを去った。
   彼等にはよい遺伝と育ち
   あらゆる設備と休養と
   茲には汗と吹雪のひまの
   歪んだ時間と粗野な手引があるだけだ
   彼等は百の速力をもち
   われらは十の力を有たぬ
   何がわれらをこの暗みから救ふのか
   あらゆる労れと悩みを燃やせ
   すべてのねがひの形を変へよ)
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教師生活が4年を迎えた1925年11月、リベラルな畠山栄一郎校長が転出、新校長の中野氏は「生真面目な人物で、校長室を作り職員との間に一線を設けた。はじめ賢治の教師ぶりを喜ばなかった」という記録がある。この頃から、花巻農学校は「官制的な統制的国粋主義」で賢治の考える農民教育ができなくなっていったようである。校長交代から4か月後、賢治は花巻農学校を依願退職する。
〔断章二〕は、花巻農学校から自由な空気が急速に失われていく様子がリアルに窺える。「歪んだ時間」「粗野な手引き」「何がわれらをこの暗みから救ふのか」には、賢治の怒りや失望が滲み出ている。

参考
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〔断章三〕
新らしい風のやうに爽やかな星雲のやうに
透明に愉快な明日は来る
諸君よ紺いろした北上山地のある稜は
速かにその形を変じよう
野原の草は俄かに丈を倍加しよう
あらたな樹木や花の群落が
   、
   、
   、
   、
   、
------------------------------------------------------------
本作を創作した年(1927年)の2月(3月?)、賢治は羅須地人協会の活動に関して社会主義運動との関係を疑われ、警察の事情聴取を受けたことから協会の活動を停止した。
賢治の思想が当時の世相においてどの程度問題視されていたかは把握できていないが、賢治は次第に「生きにくさ」を感じるようになっただろう。「透明に愉快な明日」は自由に物が言える時代を象徴しておおり、ここでは賢治はその到来を希求している。「新しい風」「紺いろした北上山地のある稜は/速かにその形を変じよう/野原の草は俄かに丈を倍加しよう/あらたな樹木や花の群落」という詩句には、大正期デモクラシーへの回帰ではない、より成熟した自由のイメージがある。

参考
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〔断章四〕
 諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
 諸君はその中に没することを欲するか
 じつに諸君はその地平線に於る
 あらゆる形の山岳でなければならぬ
------------------------------------------------------------
「紺いろの地平線」が、〔断章四〕の解釈の分かれ目か。私はこれを「時代の思想・空気・風潮・世相」と解釈してみた。具体的には、昭和初期に漂い始めた「軍国主義的なもの」。〔断章四〕は「君たちは、その中に没して口を閉ざすのか。そうでなく、それぞれの意見を主張せよ」という賢治先生のメッセージと受け取れる。「あらゆる形の山岳でなければならぬ」には、多様性を重視する賢治の教育観が垣間見える。
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〔断章五〕
サキノハカ、、、
             来る
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である、
諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
宙宇は絶えずわれらに依って変化する
潮汐や風、
あらゆる自然の力を用ゐ尽すことから一足進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ

------------------------------------------------------------
「それは一つの送られた光線であり 決せられた南の風である」、この詩句がどこから続くのか。
(合唱曲の歌詞のように)〔断章七〕の「諸君の未来圏から吹いてくる 透明な清潔な風を感じないのか」に続くとすると、光線や南の風は「新しい時代からの啓示」あるいは「先進的な思想」という解釈ができる。そうしたものは往々にして時代の通念にそぐわない。諸君は時代に忍従することなく、新しい正しい時代を作れ、と賢治は生徒たちにエールを送る。
ところで、賢治は他の作品の中でも「南の風」という言葉を使っている。「南」に意味があるのか、あるとすればどんな意味かは、まだわからない。


「宙宇」とは「宇宙」というより「社会」「時代」という意味合が強いと思う。「社会(時代)は自分たちが変えていく」という静かだが熱い闘志が伝わってくる。
「潮汐や風、/あらゆる自然の力を用ゐ尽すことから一足進んで/新たな自然を形成するのに努めねばならぬ」の3行は、自然科学に通じた賢治らしい表現で、「あらゆる自然の力を用ゐ尽すことから一足進んで」に賢治の向上心が見て取れた。

ここで、冒頭の不完全な文章に着目する。別の詩(http://why.kenji.ne.jp/sonota1/n1056sakkino.html)の中に、「サキノハカといふ黒い花といっしょに 革命がやがてやって来る」という詩句がある。「この時代に強ひられ率ゐられて」いる者たちの抑圧されたエネルギーを感じる詩だが、ここで賢治が何を表現しようとしたのかは想像できない。
サキノハカ」について、http://www.kenji-world.net/forum/241.html に面白い考察がある。「サキノハカ」とは「暴力」あるいは「先の墓」ではないかというものだ。どちかがが該当するとしたら、軍国主義時代の到来を仄めかす不気味さを感じる。
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〔断章六〕
新らしい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て

新らしい時代のダーウ※[#小書き片仮名ヰ、302-13]ンよ
更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って
銀河系空間の外にも至って
更にも透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ

衝動のやうにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踊の範囲に高めよ

素質ある諸君はたゞにこれらを刻み出すべきである
おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少くとも百人の天才がなければならぬ
------------------------------------------------------------
地動説を唱えたコペルニクス、進化論を確立したダーウィン、近代海洋学の先駆けとなったキャレンジャー(※)。
※1872~76にかけて大規模な学術調査を行ったイギリスの海洋調査船「チャレンジャー号」。チャレンジャーレポート:https://lib.s.kaiyodai.ac.jp/library/maincollection/challenger.html
これらは天文学、生物学、海洋学における「新しい時代」を切り拓いた開拓者である。「新しい時代のコペルニクスよ」「新しい時代のダーウィンよ」という呼び掛けには、「それぞれの専門分野における開拓者になれ」という教え子への期待が込められていると思われる。


「静観」とは、(1)静かに観察すること、(2)事物の奥に隠された本質的なものを見極めること。ここでは(2)の意味を持っていると解釈するのが妥当。


羅須地人協会の活動の一環として、宮沢賢治は自身の農業観を説いた「農民芸術概論綱要」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html)を著す。
「農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性と通ずる具体的なる表現である」そうだが、総じて抽象的でよくわからない。
『「農民芸術概論綱要」宮澤賢治』(http://blogs.yahoo.co.jp/no1685j_s_bach/10926474.html) が分かりやすいので、そこに書かれている
情熱を傾けることのできる対象が見つかったら、
冷たい頭で、対象を冷静に分析解析しながら、
熱い心で、対象に向かってどん欲に突き進んでゆく。
そのような2つのものを総合して、
無我夢中で対象に入り込んでいけばいくほど、
芸術における美と創造力を深めることができる。
そういったものを心の中に蓄えておけば、
それが、あるきっかけで表に出て、形になることにより、
芸術作品として完成されるものである。
という解説を「衝動のやうにさへ行はれる(途中略)舞踊の範囲に高めよ」の解釈として借用する。


『農民芸術概論綱要』では「舞踊」という言葉が、芸術の象徴として、繰り返し使われている。音楽好きの賢治らしい用語使いと言えよう。


参考
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〔断章七〕
新たな詩人よ
嵐から雲から光から
新たな透明なエネルギーを得て
人と地球にとるべき形を暗示せよ

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴しく美しい構成に変へよ

諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
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「嵐から雲から光から/新たな透明なエネルギーを得て/人と地球にとるべき形を暗示せよ」。文字通りに受け止められる詩句だが、さらなる解釈には賢治の自然観を追究する必要がありそうだ。
「新たな時代のマルクスよ」。この呼び掛けに込められた賢治の思いを探るには、マルクスの思想と、賢治がそれにどのような影響を受けたのかを把握する必要がある。
時間の都合上、それらはひとまず横に置き……、

『盛岡タイムス Web News 2012年 9月 15日 (土)』(http://www.morioka-times.com/news/2012/1209/15/12091503.htm)に、この断章を読み解くヒントがある。
本作と同じ年(昭和2年)に創作された、『黒つちからたつ』(http://why.kenji.ne.jp/sonota1/n1016kurotuti.html)という詩には、
みんなが労農党をめざすような社会体制を願望し、そうした社会変革が訪れてから、自分のほんとうの仕事がはじまる革命願望思想がかなりはっきり表明されている」。「このように労農党に接近した昭和2年前後の賢治は、政治意識も高揚し社会変革への意思表明もかなり明確に作品にとどめています。こうした労農党への支援が頂点に達した時に、詩「生徒諸君に寄せる」の「新しい時代のマルクスよ/これらの盲目の衝動から動く世界を/素晴らしく美しい構成に変えよ」という断章が成立したものと考えられます。
という解釈を採用したい。

参考
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〔断章八〕
今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や徳性はたゞ誤解から生じたとさへ見え
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ、

誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを云ってゐるひまがあるのか
さあわれわれは一つになって〔以下空白〕
------------------------------------------------------------
思想や活動に圧力がかかるのを感じていた賢治の胸中には、「時代」への反骨心、危機感あるいは諦観も渦巻いていたのでないかと想像する。それでも理想を追求しようとする賢治の葛藤が伝わってくる。
賢治の宗教観、自然観、人生観などを深掘りしてゆけば、この断章をもっと緻密な分析ができそうだが、現状はここまでとする。
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『お任せ!数学屋さん』 向井湘吾、ポプラ社

天野遙(あまのはるか)のクラスに風変りな転校生がやって来た。
「神之内宙(じんのうちそら)です。特技は数学。将来の夢は、数学で世界を救うことです」
その自己紹介にクラスは爆笑するが、宙は本気で数学で世界を救おうとしていたのである。
途轍もない大きな夢の第一歩として、宙は「数学屋」を始める。それは「数学の力でみんなの悩みを解決する、お悩み相談所」。
なりゆきで最初のお客さんになった遙の悩みは、「グローブを買い替えたいけど、部活帰りに友達と行くファーストフード店でお小遣いを使いすぎちゃって、なかなかお金がたまらない」。自業自得や!買い食いやめろ!と片付けたいところだが、この悩みに対して、宙は数学的なアプローチで見事に一つの現実的な解決策を提示する。
①まずは目標設定。いつまでにいくら貯めたいのか。
②次に情報収取。小遣いの額、ファーストフード店に行く回数、そこで使う金額などを洗い出す。
③次にどこを減らせるか、支出を見直す。ハンバーガーを一番安いやつにして、月9回のうち4回をコーラだけで我慢する。
これでひと月に1500円貯金できることがわかった。グローブは6000円。この計画を実行すれば4か月後にはグローブが買えるのだ!!
なるほど、欲しいものを手に入れるには、具体的な計画と実践が必要なのだ。当たり前だけど。
それの一つの方法が「数学的アプローチ」なのである。どうしていいかわからないなら、とりあえず数値化して考えてみるのも手だなと思います。問題解決の新たな視点を与えてくれるという点で、参考になる作品です。
これをきっかけに遙はマネージャとして数学屋さんをサポートすることになる。この後も宙は数学を使って学校内の問題に答えを出していくのだが、数学的には正解の答えが、現実にうまくいくとは限らない。「現実は割り切れないものなのだ」というところも仄めかされているのが面白かった。
中高生のみなさん、是非読んでください。若い時代に、数学的アプローチを身に着けておくといいと思うよ。


作者の向井湘吾さんは、「日本数学オリンピック予選にてAランクを受賞し、本選に出場。好きな分野は数列」(本書の作者紹介より)という実力者。それがどれくらいすごいのか正直わかりませんが、数学がすごく得意で、広く深い数学知識をお持ちの方であることは間違いないでしょう。
実は私、今、向井さんの母校(高校)のPTA活動をしていまして、その仲間から聞いた話によると、向井さんはこれだけ数学が好きで得意にも関わらず文系を専攻されたそうです。その理由は「作家になりたいから」だったとか。理系の頭脳を持ちながら、文系の技術を磨いていく。一つの道を突き詰めるという学び方・生き方も立派だと思いますが、一見対照的な分野を両方追求していくことで、バランス感覚が磨かれていくのかもしれません。

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