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奇跡のノンフィクション!?
- 2009.07.17
泣いて笑って
- 2009.07.17
泣いて笑って
- 2009.07.06
懐メロの効能
- 2009.03.28
悟りとは
奇跡のノンフィクション!?
今読んでいるノンフィクション『メモリー・クエスト』(高野秀行著、幻冬舎)が面白い。これまで読んだことのないタイプのノンフィクションです。もっともノンフィクションてのは、たいていは「これまで読んだことんない」部分があるもんですが(苦笑)
前置きはさておき、『メモリー・クエスト』は、「○年くらい前に△△で会った□□を探してほしい(△にはタイだの南アだの奥深い地名が、□にはスーパー小学生だの春画老人だのといった特徴的かつ抽象的な名称が入ります)」といった依頼を受けて人さまの思い出を訪ねるという冒険奇談です。依頼者の風変わりな体験、高野さんの軽妙な語り口もさることながら、高野さんの体験の数々が実に面白い。フィクションだったら「ご都合主義」と言われてしまいそうな出来事が行く先々で起きるのです。その辺のファンタジーよりもよっぽどミラクルです。
まるでコメディ映画を見ているような展開が笑いを誘いますが、その一方で、この作品の「奇跡」が意味するものを考えさせられます。
タイや南アで一人の人間を探し回る過程で、その国が抱える様々な問題が見えてきます。南アでの訪ね人は、実は高野さん自身の訪ね人なのですが、彼が高野さんと別れてから辿った人生は、私には衝撃的でした。私が初めての子育てで四苦八苦してた頃、無一文で国から国を渡り歩いて今日を必死で生きていた人がいたという自明の事実を突き付けられます。あの頃の自分を「四苦八苦」と呼ぶのが恥ずかしくなるくらいに。
さて、私にも会ってみたい人がいるんですよね。たしか11年くらい前に東名自動車道の浜名湖SAで出会ったMちゃん一家。愛媛だか香川だかから来てたとか。めちゃめちゃ曖昧な記憶ですが。実はMちゃんとうちの子(長女)とは、名前も年も一緒なんですよ。SAでたまたま近くにいて、同じような家族構成だったんで、お互い親近感を持ったんでしょうね。どちらからともなく話しかけて、子どもの名前と年を聞いたら偶然にも同じ。さらに親近感を深めて、ちょっと会話を交わして、そのまま別れるのは後ろ髪引かれたのですが、連絡先を聞くのも躊躇われて、「じゃあまた」といって別れたのを覚えています。おそらくもう会えないとは思いながら、また会いたいという思いが「じゃあまた」という言葉になったのだと思います。ということで、高野さん、Mちゃん一家を探してくれないかなぁ(笑)
前置きはさておき、『メモリー・クエスト』は、「○年くらい前に△△で会った□□を探してほしい(△にはタイだの南アだの奥深い地名が、□にはスーパー小学生だの春画老人だのといった特徴的かつ抽象的な名称が入ります)」といった依頼を受けて人さまの思い出を訪ねるという冒険奇談です。依頼者の風変わりな体験、高野さんの軽妙な語り口もさることながら、高野さんの体験の数々が実に面白い。フィクションだったら「ご都合主義」と言われてしまいそうな出来事が行く先々で起きるのです。その辺のファンタジーよりもよっぽどミラクルです。
まるでコメディ映画を見ているような展開が笑いを誘いますが、その一方で、この作品の「奇跡」が意味するものを考えさせられます。
タイや南アで一人の人間を探し回る過程で、その国が抱える様々な問題が見えてきます。南アでの訪ね人は、実は高野さん自身の訪ね人なのですが、彼が高野さんと別れてから辿った人生は、私には衝撃的でした。私が初めての子育てで四苦八苦してた頃、無一文で国から国を渡り歩いて今日を必死で生きていた人がいたという自明の事実を突き付けられます。あの頃の自分を「四苦八苦」と呼ぶのが恥ずかしくなるくらいに。
さて、私にも会ってみたい人がいるんですよね。たしか11年くらい前に東名自動車道の浜名湖SAで出会ったMちゃん一家。愛媛だか香川だかから来てたとか。めちゃめちゃ曖昧な記憶ですが。実はMちゃんとうちの子(長女)とは、名前も年も一緒なんですよ。SAでたまたま近くにいて、同じような家族構成だったんで、お互い親近感を持ったんでしょうね。どちらからともなく話しかけて、子どもの名前と年を聞いたら偶然にも同じ。さらに親近感を深めて、ちょっと会話を交わして、そのまま別れるのは後ろ髪引かれたのですが、連絡先を聞くのも躊躇われて、「じゃあまた」といって別れたのを覚えています。おそらくもう会えないとは思いながら、また会いたいという思いが「じゃあまた」という言葉になったのだと思います。ということで、高野さん、Mちゃん一家を探してくれないかなぁ(笑)
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泣いて笑って
子どもたちの夏休みが始まります。それと時期を同じくして映画がいくつか封切されるのが毎年の恒例です。その中で観たいなぁと思っているのが西原理恵子さんの『いけちゃんとぼく』(角川書店)。少し前に原作の絵本を読みました。ほんわかしたタッチのイラストが、エピソードの可笑しさ・悲しさ・切なさとマッチしていて、心に沁みてくるものがありました。その時私は悲しんでも落ち込んでもいなかったと思うけれど、『いけちゃんとぼく』は読んだ人を悲しいことから立ち直らせてくれる本だなぁと、直感しました。
西原さんの著作は、他にも『この世でいちばん大事な「カネ」の話 』(理論社)を読みましたが、これは読んだ人を逞しくしてくれる本だと思いました。実際は私の想像をはるかに超えているであろう悲惨な体験が書かれているのに、笑えてしまうところがすごい(笑ってしまう私ではなく、笑わせてしまう西原さんが)。
今読んでいる『ぼくんち(全)』(小学館)もそんな一冊です。ちょっと切ない感じのエピローグにほろっとされられページを捲ると、そこには「切ない」なんてもんじゃない「かなり悲惨な」(私の感覚では)状況が展開しているのですが、思わず笑ってしまう。「泣いたらハラがふくれるかあ」「泣いてるヒマがあったら、笑ええっ!!」って台詞があるのですが、この開き直りが西原さんの底力なんだろうなぁ。この素敵な台詞で人生を教えてくれるお姉さんは、どうやら風俗で働いている(いた)ようで、その商売のなんたるかを、リアルなメルヘン(現物を読めば、この感じがなんとなく分ってもらえると思います)で語ってくれたりします。それも小学生と思しき兄弟たちに(苦笑)。お姉さんの話が、低学年の弟には理解できなさそうなんだけど、高学年(多分)の兄にはなんとなく理解できるんだよね。
さてこの漫画を小六の娘に読ませてよいものか……。ちょっと迷ったけど、読ませましょう。その辺にさりげなく(わざとらしく)置いておいたら、多分勝手に読むでしょう。そういう現実がこの世にはある。ということを知っておくことは必要だと思います。
泣いて笑って
子どもたちの夏休みが始まります。それと時期を同じくして映画がいくつか封切されるのが毎年の恒例です。その中で観たいなぁと思っているのが西原理恵子さんの『いけちゃんとぼく』(角川書店)。少し前に原作の絵本を読みました。ほんわかしたタッチのイラストが、エピソードの可笑しさ・悲しさ・切なさとマッチしていて、心に沁みてくるものがありました。その時私は悲しんでも落ち込んでもいなかったと思うけれど、『いけちゃんとぼく』は読んだ人を悲しいことから立ち直らせてくれる本だなぁと、直感しました。
西原さんの著作は、他にも『この世でいちばん大事な「カネ」の話 』(理論社)を読みましたが、これは読んだ人を逞しくしてくれる本だと思いました。実際は私の想像をはるかに超えているであろう悲惨な体験が書かれているのに、笑えてしまうところがすごい(笑ってしまう私ではなく、笑わせてしまう西原さんが)。
今読んでいる『ぼくんち(全)』(小学館)もそんな一冊です。ちょっと切ない感じのエピローグにほろっとされられページを捲ると、そこには「切ない」なんてもんじゃない「かなり悲惨な」(私の感覚では)状況が展開しているのですが、思わず笑ってしまう。「泣いたらハラがふくれるかあ」「泣いてるヒマがあったら、笑ええっ!!」って台詞があるのですが、この開き直りが西原さんの底力なんだろうなぁ。この素敵な台詞で人生を教えてくれるお姉さんは、どうやら風俗で働いている(いた)ようで、その商売のなんたるかを、リアルなメルヘン(現物を読めば、この感じがなんとなく分ってもらえると思います)で語ってくれたりします。それも小学生と思しき兄弟たちに(苦笑)。お姉さんの話が、低学年の弟には理解できなさそうなんだけど、高学年(多分)の兄にはなんとなく理解できるんだよね。
さてこの漫画を小六の娘に読ませてよいものか……。ちょっと迷ったけど、読ませましょう。その辺にさりげなく(わざとらしく)置いておいたら、多分勝手に読むでしょう。そういう現実がこの世にはある。ということを知っておくことは必要だと思います。
懐メロの効能
入院するときに何冊か本を持ち込んだのですが、入院半ばですべて読み終えてしまいました。そんな時、「病棟に移動図書室が来ています」との放送が入り、これ幸いと足を運んでみました。この病院の2階に図書室があるのですが、そこの蔵書の中から文芸作品、随筆、漫画、雑誌など多様なジャンルを織り交ぜて百冊ほどの読み物が、ワゴンに並んでいます。軽いものが読みたかったので、そこから漫画を数冊借りてきました。しかしそれもさっさと読み終えてしまい、次からは図書室に赴いて物色していたところ、一冊の本が目に留まりました。中谷彰宏著『3分で右脳が目覚めた』(三笠書房)。興味を引くタイトルです。目といっしょに右脳まで良くなったら儲けもの。
さて気になる内容は……、「どのレジが早いか観察する」「商品の値札を見るな(値段を予想する)」など右脳を活性化するための心掛けがたくさん書かれていました。「早速実行しよう」と思うものもあれば、「これは私にはできないわ」と思うものもあり、全体的には「右脳ばかり鍛えるのもどうよ」と少々冷ややかにもなったりしたのですが、個人的には3割程度はタメになったので、読んでみて良かったかな。
一番面白かったのは「青春時代に好きだった曲を聴くと元気になる」というような内容のくだり。中谷氏曰く、「青春時代に好んで聴いた曲を聴くと、その頃の意欲や多感な感性が蘇って、脳が活性化する」らしいです。これには体験的に納得できるものがありました。私は高校生の頃、中島みゆきが好きで(今でも好きですが)よく聴いていました。みゆきさんの曲の中でも、とりわけ当時の曲を耳にしたときは、深い感慨がありますもんね。熱いものが込み上げてくる感じ。おじさんたちがカラオケで懐メロを歌いたくなるわけがわかる気がします。無意識に懐メロで元気になりたいんじゃないかな。私もカラオケ行くと中島みゆきの「わかれうた」とか歌いたくなります。でもね、そのあとの微妙な空気を想像すると、歌う元気がなくなっちゃうんです(苦笑)。
悟りとは
国内の映画賞を総ナメにして、米アカデミーの外国映画賞も受賞した話題の『おくりびと』。ネット注文していたDVDが届いたので、早速鑑賞しました。評判通り、心に残る映画でした。「『死』がテーマのようでありながら『生』を描いた作品」と関係者が言っていたように思います。いろいろな死が描かれていますが、全然重苦しくなく、登場人物はおおむね明るく、ところどころ笑いも盛り込まれ、しかし死と向き合うところはしっかりと向き合った真摯な映画だと感じました。その原作とも言える本が、青木新門氏が著した『納棺夫日記』。増補改訂版と書かれた文庫本を借りて読んでいます。納棺の仕事を通して生まれた青木氏の死生観や、様々な納棺のエピソードなどが盛り込まれた作品です。まだ全てを読んだわけではありませんが、心に残った文章がいくつかあります。
「己の携わっている仕事の本質から目をそらして、その仕事が成ったり、人から信頼される職業となるはずがない」「嫌な仕事だが金になるから、という発想が原点であるかぎり、どのような仕事であれ世間から軽蔑され続けるであろう」。当たり前の一言ですが、意識しないとなかなか当たり前にはできないことではないでしょうか。
「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬ事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」。正岡子規が『病牀六尺』という著書の中に記した言葉だそうです。逆転の発想とでもいうのでしょうか。何かにつけては動揺して生きている私には、頭をガツンと小突かれたような衝撃でした。人生観というか死生観を変えられた思いがします。こんなことを悟った子規の生きざまに興味を覚えます。
「己の携わっている仕事の本質から目をそらして、その仕事が成ったり、人から信頼される職業となるはずがない」「嫌な仕事だが金になるから、という発想が原点であるかぎり、どのような仕事であれ世間から軽蔑され続けるであろう」。当たり前の一言ですが、意識しないとなかなか当たり前にはできないことではないでしょうか。
「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬ事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」。正岡子規が『病牀六尺』という著書の中に記した言葉だそうです。逆転の発想とでもいうのでしょうか。何かにつけては動揺して生きている私には、頭をガツンと小突かれたような衝撃でした。人生観というか死生観を変えられた思いがします。こんなことを悟った子規の生きざまに興味を覚えます。
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